「地下式原発」という“マンガ”にしがみ付く原発推進議員

 超党派議連の「地下式原子力発電所政策推進議員連盟」が発足した。遂に、原子力は遂に、こんな子供じみた“マンガ”にしがみ付くようになったのである。しかしこれは完全に負け犬の発想であることに気付くべきだ。

 地下式原子力の利点として議連の説明は、①地下だから地震に強い、②地下だから何かあった時に封じ込めることができる、としているようだ。しかしこのいずれのメリットも、空想でしかない。工学的な検証はなされてないのだ。

安全上の意味がない

 まず①地下だから地震に強い、というのは、よく地震の際に地下道の方が安全だ、という言い方をされることからのアナロジーに過ぎない。それは地震に遭遇した個人の安全と、原子力プラントの安全とを混同している考えである。人が地震に遭遇した際には、地上では頭上からの落下物による被害を受ける恐れがあるが、地下道ならばそのリスクは大幅に低減される。
 また地震の揺れは高層ビルほど大きくなるが地下は地震の揺れそのものである。また地上のビルは必ずしも耐震強度が十分ではない、などのことから地下が安全といわれる。
 しかし原子力プラントは既に、地下深く、丈夫な岩盤まで(あるいは硬い地盤まで)基礎を打ち込んでおり、通常のビルとは比較にならない耐震性を有している。地下にあるのと同程度の耐震性があるのでわざわざ地下空間を掘削するという、非常に手間とコストのかかる方式を採用する意味がない。むしろ、地下に建設するということで、十分な基礎工事が出来なくなる可能性の方が大きい。現実には殆ど発生しないと思えるものの、極端に言えば、岩盤崩落の危険だってゼロではない。
 これらの事から「地下式原発」の安全性には、全く根拠がないと言える。むしろコストが高くなる分、電源としての競争力は失われることになる。

封じ込め能力」も空想である

 続いて②の核物質の封じ込め能力についても、全く意味がない。
 原子力プラントは大量の熱を発生するため、常にその熱を排出する必要がある。原子炉で発生する蒸気でタービンを回した後の復水器はそのためにある。だから大量の熱が海に流れ出している。地下式でもこれは同じであるため、地下に完全封じ込めることは出来ない。また空気の循環も必要なので、排気口も必要だ。燃料や人の出入りもある(Candle炉系の原子炉ならばこれは必要ないが)。地上と地下を繋がなければ、プラントとして稼動することは出来ない。従って、事故発生時に放射性物質の排出を地下だから防げる、というのも空想に過ぎない。
 むしろ地上式ですら、福島第一では対処に苦労しているのである。地下式では何もできなくなり、水蒸気爆発を起してしまうリスクが高い。そうなると排気口や出入り口から猛烈な勢いで大量の放射性物質が周囲にばら撒かれる事になる。

乗る馬を間違えた推進議連

 以上、「地下原発」にはメリットが見込めないどころか、デメリットが大きい。大体が「地上だと危険だから地下に入れちゃえ」というのは発想が幼稚である。幼稚である上に、後ろ向きだ。
 危険性(リスク)を認識するのであれば、リスクを低減する方向に原子炉を改良していけばよい。炉の改良を考えず、地下に隠すというのは、原発のリスクを国民から見えにくくするだけであり「負け犬の発想」である。
 何故、国会議員がこのような幼稚な構想に拘るのか?
フリージャーナリストのまさのあつこ氏は「これによって原子力関連の予算や部署を確保することが目的だ」と教えてくれた。そうかも知れない。今回の事故で脱原発が全国で展開され、定期検査で停止された原子炉の再開がおぼつかなくなっている。このままでは原子力ムラが衰退してしまう、それを防ぐために「何でも良いから」構想をうち上げたと見るのは筋が通っている。
 しかし、それにしてもこの推進議連は、乗る馬を間違えたようである。ここまで述べてきたように、この馬では勝ち目は全くない。工学的な合理性の全くない、非現実的な構想に霞ヶ関が乗れば、「霞ヶ関には合理性がない」とばカにされ(少なくとも私は100%バカ呼ばわりする)、原子力への信頼をさらにさらに失ってしまう。
 原子炉自体の安全性を高めていく以外、原子力再生への道はない。そうした単純なことすら、全く理解できない、合理性を失ったこの議連に存在意義はない。

唯一の道は本質安全

 原子炉そのものの安全をどう考えるか?それを実現するにはどうするか?原子力ムラに今一番問われているのがこの課題である。
 原子力がなければ困るだろう?と脅しをかけていていても、もう通用しない。既に東京電力関内では計画停電を経験してしまったのである。この程度の電源のショートであれば、社会は何とか回す事が出来る、という実感を得ている。だからこそ、原発停止を訴えても、うろたえているのは、原子力から利益を得ている人間だけだ。
 原子力を再生するには、本当に安全であることを示さなければならない。技術論として言えば、それは本質安全設計の実現である。
 これまで日本の原子炉は何かあっても自然と停止向かうように設計されているから大丈夫、という説明がされていたが、それも冷却水が確保されていてこその話だ。
 従って、原子炉における、新たな本質安全設計の条件とは「冷却材を失っても、核燃料の溶融が起こらず、系外への放射性物質の放出が発生しないこと」と定義できるだろう。これは現在の軽水炉では実現できない。新たなアーキテクチャの構築が必要となるはずだ。
 この本質安全設計を原子力エンジニアが実現できるかどうかは知らない。しかし、これが実現できなければ、日本での原子力復権はありえないし、許してはいけない。
 少なくとも「地下式原発」などという子供じみたマンガではなく、原子炉再生はこの本質安全設計の実現に取り組んでいく、というのが、正しい道筋だ、と考える。