「絶対に許さない」

 令和天皇即位の礼で、沖縄の相良倫子さんが招待されたというニュースを見た。昨年の沖縄慰霊の日に、平和の詩「生きる」を朗々と暗唱した中学3年生。今年は高校1年生となっている。
 改めて、その平和の詩を読み返してみる。それは自分が生まれ育った沖縄の地の美しさ、豊かさを称えるところから始まるこの詩は、途中から突如、戦争の悲しみ・苦しみへとトーンを変えて行く。そして、こう語りかける。
「心から、誓う。私が生きている限り、 こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを」「戦力という愚かな力を持つことで、得られる平和など、本当は無いことを」

 この詩を見返してみて「絶対に許さない」という言葉が使われていることに改めて気が付いた。
 今年、それとほぼ同じ言葉が国連気候行動サミットで使われた。世界で話題となったグレタ・トゥンベリさんの演説だ。
 「あなたたちには失望した。しかし若者たちはあなたたちの裏切り行為に気付き始めている。全ての未来世代の目はあなたたちに注がれている。私たちを失望させる選択をすれば、決して許さない」。
 グレタさんは、今年16歳。相良さんと同じ年齢だ。沖縄とスウェーデンと遠く離れた地に生まれ育ち、今も全く交流のない16歳の二人の少女が「許さない」という強い言葉を使った。そして二人とも、その言葉によって強い批判を浴びることとなった。「誰か大人に言わされている」「子供で何も解からないから言える」etc。彼女らが自発的に大人の行動を批判した、と思いたくない大人が、実に多かったのである。

 しかしこうした批判は、大人の側に受け入れる余裕が無いという事を示しているのだ。自分達の批判を許さない大人の人間が、したり顔をして平和を語ったり、環境問題を語ったりしている訳だ。誰も損をしたくないし、自尊心を傷つけられたくない。その範囲の中で、問題を語る。それで平和や環境に貢献した気になる。
 だが、彼女らはその欺瞞を見抜いている。そして、そうした欺瞞に満ちた大人達が、問題解決に真摯に向かい合っているとは思えない。従ってこのままでは何も解決は出来ないではないか。
 その焦燥が彼女らの中にある。だから「絶対に許さない」と、強い言葉を使った。いや、使わざるを得なかったのだ。

 彼女らは特別な存在ではない。多くの大人達が言うような「大人に踊らされた一部の子供が言う事」ではなく、健全に成長した子供たちだからこそ、その言葉が大人の琴線にも触れたのだ。そして、多くの子供たちが、彼女らと同じ視線を、黙って大人に向けている、ということに気付いた。

 相良さんを即位の礼に招待した人は、彼女を即位の礼に参列させることで、大人の欺瞞の中に取り込もうとしているのかもしれない。沖縄を蹂躙してきた政府のやる事である。相良さんを黙らせる効果を狙っている可能性は高い。だが、もしかしたら、彼女の「許さない」という言葉を受け入れた僅かな大人の一人かもしれない。

 「絶対に許さない」子供は彼女達だけではない。今後も必ず出てくる。
 自分はこれから、その言葉を受入れる側でありたいと思う。

 

「生きる」全文

https://yuzawaheiwa.blogspot.com/2018/06/blog-post_78.html

 

グレタ演説全文

https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201909/CK2019092502100025.html