福島原発事故は原子力からの脱却を早めた

 東日本大震災から2カ月。思いがけずテレビの取材を受け、ラジオに出演するという今までにない経験をすることとなり、週刊誌数誌に自分のコメントが載り、原稿依頼が若干増えた。それもようやく、ひと段落が着いた。
 
 正直、震災まで原子力を容認する立場だった。安全に関してはあまり大きなリスクは無いだろうと考えていた。原発輸出を煽るマスコミのほぼ先頭に立ってたといえるだろう。まさか、これほどの事態が日本で起こるとは思っていなかった。
 
 考えを変えたのは、東京電力と政府が原発のシビアアクシデントに対して、全く機能しなかったのを目の当たりに見てしまったからだ。安全神話を自らが信じ込んでいたため、アクシデントを想定せず、訓練もしなかった。アタフタとただ水をぶっ掛ける。それも当初はヘリコプターで注水という醜態。

 結局は3つの炉がメルトダウン。ECCSも津波で機能しない。通常の2倍の圧力で運転して炉にダメージを負わせるという、プラントのオペレーションとしてやってはいけない事を平気でやってしまう。ベントをすれば環境中に放射性物質が撒き散らされるのだが、心配したのは周辺住民ではなく、原子力が否定されることだったんじゃないかと思う。それ自体、犯罪的なオペレーションだ。そして結局、メルトダウンにより大規模な農業・漁業被害を引き起こした。
 
 東京電力は世界最大の電力会社だけど、原子力事故の前では、補償額の大きさから風前の灯だ。最大の電力会社が自分のケツも拭けないんだから、民間電力会社が原子力保有すべきではない、と考え直した。
 
 もっとも、この仕事を始めたころ(20数年前)は原発への不信をちゃんと持っていた。だから新エネルギーや省エネルギー技術を取材しまくった。その1年後の結論は、「原子力を代替できるエネルギーは今のところない」というものだった。本当に、当時の新エネルギーは、まだよちよち歩きの赤ちゃんのようなものだった。とてもじゃないが、原子力の大体電源としては使えなかった。従って当面、原子力批判は出来ない、と感じたあと、次第に危機感は薄れていった。小さな故障はほぼ毎週、どこかの原発である。柏崎刈羽もあの地震放射性物質の系外への漏洩はわずかだったじゃないか。けれどそれは単にラッキーなだけだった。
 
 柏崎刈羽の際に気付いたことがある。
 原子炉建屋とタービン建屋の耐震強度が異なるという事だ。これでは大きな地震動の際には、二つの建屋を結ぶ配管に応力が集中してしまい、最後には破断してしまう。BWRの場合、燃料棒に直接触れた水でタービンを回すので、配管の中のスチームや水は放射化、あるいは放射性物質を含んでいる。それが配管で破断すれば、簡単に系外に漏洩してしまう。

 今回の地震ははるかに大きく、また津波の被害があったため、こうしたことが起こったのかどうか、まだ検証されていないが、恐らく配管は破断しているだろう。注水当初から水が溜まらないのはそのためだ。
 東京電力津波が無ければ原発は安全だった、と結論付けたいはずだ。それならば津波対策だけで済む。けれど地震で壊れていたという事になると、全ての原子炉を見直さなければならない。それは実質的に原子力発電が長期にわたり運転できないということになる。対策費用も莫大だ。その間、新エネルギーは進展し、原子力は必要なくなっているかも知れない。その危機感が、原因を津波に限定したいという意思に繋がっている。
 
 政府もまた、「安全な原子炉」とすることで、原子力を継続使用したい考えだ。しかし本質的に安全な原子炉は軽水炉では実現不可能だろう。原子炉での本質安全設計は炉のタイプを変えなければならない。「原子炉の本質安全設計とは何か」という設計思想の段階から、原子炉を見直し、「本質安全原子力発電プラント」を作り上げることしか、原子炉の利用継続への道はない。これは原子力のエンジニアの腕の見せ所だろう。
 
 だが、そうした投資にお金を回すよりも、もう新エネルギーにシフトしたほうがいい。20数年前と今では、新エネルギーの技術レベルは大きく進化している。米国では、既に新エネルギーは民間金融機関の有望な投資対象として認知されている。許認可まで長い時間がかかり、リスクのある原子力より、殆どリスクなく短期間で投資回収が出来る太陽光発電風力発電が投資しやすい。
 
 ここ数年、米国の情報を見ると、毎月のように大規模な新エネルギープロジェクトが持ち上がっている。その一方で米国の新規原子力はサッパリ動いてない。どころか中止になったのもあるぐらいだ。成熟した先進国では今後、原子力のような巨大技術ではなく、自然エネルギーによる分散型制御ネットワークによるスマート化が進められていくことで、全体の効率の向上を進められる。
 
 その一方で新興国などはまだまだ原子力が求められている。急速な経済成長に対応する電源として、自然エネルギーだけではやはり力不足。福島原発の事故後でも、トルコやベトナムは日本の原子力発電の導入を進めようとしている。リトアニアでは新規原子力の入札が行われ、GE日立と東芝が参加するという。
 
 急速な経済発展のなかでは原子力は重要だ。だがある程度成長が止まり、成熟化した社会では、原子力から自然エネルギーへのシフトが始まっている。これが自然な形なのだろう。原子力はいわば「つなぎ」の電源であり、日本ではもう時代遅れのエネルギーとなりつつある。
 
 原子力依存から脱却するのに必要な技術・サービスが、社会で認知されだしたのはここ数年のことだ。スマート化による効率化、エネルギーサービスが既存電力のみに委ねられていることの不自由さの認識が広がりつつあるところで、今回の事故は起きた。中央集権型から、地域分散制御型(地産地消型ともいえる)へとエネルギーシステムの考え方を転換させるに十分の出来事だった。福島原発事故は、原子力依存からの脱却を早めたのだと思う。