中国高速鉄道事故 雑感

中国高速鉄道の事故をTVが連日報じている。
報じてはいるが、中国政府の批判を繰り返すだけである。

もちろん、事故原因が明らかになる前に論評するのは、あまり好ましく無いのだけれども、何せ中国なので、事故原因の詳細が発表されるかどうかわからない。まあ、そういう訳でTVを批判しながら、僕もたいした評論はできないんだけれども、技術論的に見ると、典型的な「安全思想の欠落」が指摘できると思う。

ハードの安全性というのはハードの設計に依存する。
一方、鉄道のような巨大システムの安全性は、システム構築上の安全思想が最も重要だ。

通常、鉄道システムの安全性は、事故が起こることを想定して構築される。
これを「パッシブセーフティ」という。事故は起こっても、重大事故には繋がらないようにシステムを組む。
これとは別に「アクティブセーフティ」という考え方がある。これは事故を起さない、という安全思想であり、航空機はこっちを優先する。一度、事故が起これば、致命的だからだ

日本の鉄道ではもちろん、パッシブセーフティが基本であり、新幹線では流石に、一つの車輌が停止しても後続が衝突しないように考えられてはいる。だが、福知山線の事故のように、安全思想が欠落した事例も当然、ある。

技術が輸入技術である場合、特に安全思想が欠如して輸入されることがある。日本で言えば回転ドアの事例が記憶に新しい。欧州から技術導入された回転ドアは、日本ではデザイン重視で大型化し、重量化した。その結果、人を巻き込んでもドアが停止せず、何件もの死亡事故が発生した。

実は、欧州の回転ドアは「重くしてはならない」のが鉄則であり、それは設計図に反映されていたが、その思想を日本のエンジニアは読み取れなかったのである。ドアが軽ければ、人を巻き込んだとしても怪我を負わせずに停止することが出来るのだ。「パッシブセーフティ」の考え方そのものだ。それを無視して、デザイン重視で改造した結果が死亡事故の頻発であった。

中国の高速鉄道の事故を見て、すぐに思い出したのがこの件だ。

安全設計というのは、技術そのものではなく思想に近い。ハードやシステムの設計時に、安全や環境の観点から設計をレビューするかどうか。その行動をするかどうか。これが先進的な組織とそうではない企業とを分ける、一つの基準だ。

健康、安全、環境の3つの頭文字をとった“HSE”は、既に世界企業共通のキーワードとなっている。

中国の高速鉄道のシステムは世界レベルにはまだ達してないのは明らかではある。
この事故の前でも、世界の高速鉄道プロジェクトで中国を採用ようという国は無かったと言ってよい。
今回の事故に対して、中国がどの様に対応するか、世界はそれを見ている。隠蔽などをしていれば、信用は失われることになるだろう。それはすなわち、安全思想を中国が持っているかどうか、それが問われている、とも言える。

ただ、日本でも、そこかしこに安全思想の欠如の事例はある。
単に中国を批判するだけではなく、国内のシステムの安全思想を再チェックしてみる、という視点も必要だ。
事実、東京の地下鉄でエレベーターの落下事故が起こっているのだから。