父の戦争

父が鹿児島からアンダマンへ向かった船の上では、「もう生きて帰れない」とメチルで乾杯(当時、アルコールはメチルしかなかった)。その結果、半数が戦地につく前に死亡。さらにアンダマンではマラリアで残りの半数が死亡した。戦闘でなくとも多くの兵士が死んだ。
 
父は衛生兵とか料理係だったから、実際に戦闘経験はなかったという。部隊そのものも本格的な戦闘には遭遇しなかったらしい。何故なら父は、原住民と一緒にドブロク作って酒盛りしてたというから。
 
原住民から父は結構、慕われていたという。上官は威張ってばかりだったから嫌われてた。父も何かと上官に怒られ、殴られていた、ってボソっと言ったことがある。敵より、上官の方が怖かったらしい。
 
随筆の同人をやっていた父だが、結局、戦争体験のことは最後まで一切、文章に残さなかった。「楽しい話になってしまう」と「思い出したくない」という矛盾した理由で、最後まで書かなかった。断片的に父から聞いた話は確かに楽しそうなことが多かった。でもそれだけではないのも感じていた。
 
ある日、父が居間でうたた寝をしていた。「寝るなら布団で寝れば?」と起こしたら、急に「すいません!」「すいません!」と大声を出し、自分の部屋に。何の夢を見ていたのか。どんな思いを想起したのか。父が、そんなものを引きずっていたのを、その時、初めて知った。
 
誰にも言わなかった、あるいは言いたくなかった「何か」を父は墓場まで持っていった。そして僕はその「何か」の上で生かされている。苦しんだのは英霊だけじゃない。