千葉法相が死刑を執行したことの「重み」

死刑反対議員連盟のメンバーだった千葉法相が死刑を執行した。
もっとも、千葉氏は法務大臣に就任したときに、死刑廃止議連からは脱退している。
「死刑の執行にサインする」ことが法相の責務の一つとなっているからだ。

この件で色んな見方が出ている。
死刑執行にサインしないことで、自民党が千葉氏に対して問責決議案を提出しようとしていたことに対する牽制だ、とか、夫婦別姓を通すために死刑執行にサインすることを官僚に耳打ちされたとか…。

死刑は大きな問題であり、それを夫婦別姓問題とのバーターとして実行する、なんていうのはあまりにバカげている。問責決議案が出たとしても、既に議員ではなく民間人となっており、9月に辞任する身である。それに、衆議院は未だ民主が安定議席数を保っているので、自民の問責決議案など、屁でもない。

千葉法相のコメント要旨を見ると、かなり覚悟した上でサインしているように思える。
http:// www.tok yo-np.c o.jp/s/ article /201007 2801000 327.htm l
「死刑の在り方を検討するため法務省内に勉強会を立ち上げる」

「死刑制度の存廃を含めて検討する。裁判員裁判で刑事司法への国民の関心が高まり、あるいは自ら判断する責任を国民も負っている状況の中で、成果を公表し、広く国民的な議論を行う契機にしたい」

「国民的な議論に資する観点から、東京拘置所の刑場についてマスメディアの取材の機会を設けるよう指示した」

これらの言葉からは、死刑制度そのものを見直すための道筋を最後に作りたかったように見える。

つまり、死刑制度の見直しを官僚に認めさせるために、二人の死刑囚の命を奪うという決断をしたというように思えてならない。

現行制度の中で、法相が死刑執行にサインしないのは極めて難しい。官僚からの突き上げもあるし、サインしないのが問責決議案の材料にすらなってしまう。

いま、死刑賛成派が8割を超えるという、一種の思考停止状況に日本はある。ここに一石を投じ、死刑制度見直しを進めるために、どうしても死刑執行にサインしなければならないのだとすると、なんという矛盾だろうか?

法務省官僚の死刑という権利に対する執着はかなり強いといわざるを得ない。そう簡単に、死刑制度の見直しなんてやる気は無いのだ。「我々は犯罪者の命を奪う権利を持つ」という頑なな確信。そのこと自体が、とても恐ろしいのだと感じられなければならない、と思った。
 そして、サインした二人の命を、死刑制度見直しの礎とすることになってしまったその決断の重さを感じているからこそ、本来、大臣の責務なのだから、立ち会う必要は無いにも係わらず、千葉法務大臣は死刑執行に立会ったのだと思う。法務大臣の死刑執行への立会いは、重い。
 
 この「重さ」を死刑制度反対派こそが、かみ締めていかなければならないと思う。