「核」を超える防衛力

「日本はアメリカの核の傘のもとで平和を維持してきた。その日本が核兵器を批判するのはおかしい」と茶髪の弁護士もどきがTVでのたまっていた。

 実はこれ、昔から頭の悪い親米右翼どもが使ってきたロジック(といえるほど高級なものではないけどね)なのです。だからこの話はアナだらけなのです。

 第一に、日本と米国は安全保障条約をかわしているけど、この条約はどちらかの国が「やーめた」と言えばいつでも解消できることになっている(最大1年の猶予期間はある)。こんなゆる~い条約で日本の安全を米国に守ってもらっているなんて、実に甘ったるい考えなのである。

 第二に、しかもこの条約、あからさまな「不平等条約」であり、日本の地位が不当に低く抑えられているのはご存知の通り。従って、実質的に日本から「やめた」とは非常に言い難い。
 つまり、日米安保は完全に米国主体であり「核で日本を守ってやっている」なんてのは「米国の押し売り」でしかないのだ。だから、こんなものに日本国民が「配慮」する必要など全くない。

 極端に言えば、もしも日本が安保条約の破棄を明言して、自前で核兵器を装備したら、最も困るのは米国さんなのである。日本という「良い奴隷」を米国は手放したくないだけでなく、その際には必ず日本を批判しはじめるはずだ。「自立した日本」これほど米国にとって恐ろしいものは無いからだ。

 第三に、「戦後の日本の平和は核によって守られている」というのが全くの幻想でしかない。これを説明するには、「安全保障」とは何か、というところから入らなければならないのだが、簡単に言うと「ある国がどこからも侵略されない」状態は何によって達成されているか、を考えればよい。

 軍事評論家は全てを軍事力でしか考えられない単一思考の人たちなので、この命題に対しては「軍事力」しか答えが出せない。経済学者は「経済力」しか答えを出せない。

 実際には、様々な要素のバランスが取れているかどうかなのだが、そのなかで軍事力要素の比率はゼロではないにしろ、それほど重要ではない。むしろ経済力の要素、政治力の要素が大きいのだ。(モンゴル帝国始皇帝の秦が何故短期で崩壊したかを考えれば分かる)

 そして最近注目されているのが「文化力」である。エジプトや中国、英国や米国など、歴史に残る強大な国家はいずれも、独自の文化を高度に発展させ、その文化が周辺国に多大な影響を与えている。周辺への「文化力」は、実はかなり大きな「防衛力」となっているのだ。これは核兵器など及びもつかない「防衛力」である。
 
 好きな文化、尊敬できる文化を生み出していき、それによって自分達生活もより豊かに変わっていく時。その文化を生み出す国を攻撃することなど、誰にもできないのだ。

 こうした見方はまだ一般的とは言い難いが、少しずつ浸透していくだろう。 ここまで読めば、橋下弁護士の言葉が如何に「子供じみた」発言であるか、理解できると思う。

 ところで近年、伝統文化だけでなくサブカルチャーでも日本の文化力は着実に高まっている。逆に米国では、ハリウッド映画を見るとアメコミの実写版や、ヒットシリーズの追加、名作の焼き直し、外国からの買い入れ。音楽面でもかつての日本の「アイドル」的なミュージシャンばかりと、明らかに「文化力」の衰えが感じられるのだが…。