試論 靖国神社考 魂を鎮める本義の社への再生へ

 私が住んでいる湯島という土地は、神田明神湯島天神に挟まれている。菅原道真平将門という、朝廷を揺るがした2大怨霊を鎮めるために建立されたのが、この二つの神社の縁起である。そして、家のすぐ傍にあるのが湯島御霊社。崇道天王(早良親王)などを祭っており、その目的は怨霊を鎮めることだ。早良親王も怨霊として有名。つくづく、怨霊に縁の深い土地である。

 神社というのは、本来はその土地の人間による、土地の神を祭るための施設である。そして神を祭るということは、神をなだめ、神による災いを避けることだ。
 伊勢神宮式年遷宮を行う神社である。20年ごとに宮を作り変える、もっとも重要な儀式だが、これを行わなければカミが死んでしまうと考えられている。カミが死ねば、それは怨霊となり、人に祟るようになる。
 神社の本義は怨霊の鎮魂であるといえるかもしれない。三輪山は蛇が取り巻いているとされる。これを祭るの止めれば、何が起こるかわからない。したがって大神神社を廃することはできない。

 靖国神社は、国家神道という奇妙なモノのために作られた神社である。国家護持のための神道というものはかつて日本には存在していなかったが、江戸末期の本居宣長国学者がでっちあげた「神道」に基づく。神道という言葉すら、このときまで存在しておらず、国学者は中国の道教と和のカミとを習合してこれを作り上げたのである。

 江戸末期から明治初期の混乱による死者を慰霊するのを目的として創建された靖国神社は、その本来的な役割として、それら維新の犠牲となった魂が怨霊となるのを鎮めることが、真の目的であったような気がする。それが後に、国のために戦った兵士の顕彰施設と変化していくのは、「国家神道」という奇妙な新興宗教と軍部との強い結びつきによるものだ。

 軍部が宗教を利用したことによって、明治から大正、昭和初期にかけて起こった「古神道」ブームが巻き起こった。「ピラミッド日本起源説」で有名な酒井カツトキや、竹内文書などの偽書を大量生産した神道系の新興宗教の台頭がそれだ。いわく、イエスは日本で死んだとか、八紘一宇とかの考えは全て、これらのオカルトから発生し、当時の日本人に「世界で最も優秀な日本人」という意識を受け付けた(その証拠としてあげられたのは、全て紛いモノであるが)。

 このオカルトによる意識改革(?)が、日本人を戦争に駆り立てた一つの要因となっている。あるいは当時の日本の指導者達も、このオカルトを現実のものと信じていた節もある。

 しかしこのオカルト、いささか斬新すぎた。いくらなんでも、皇室が数万年にわたる歴史を持っており、日本が人類発祥の地であるかのごとく珍説を巻き散らかすように至っては、流石に弾圧もやむなしという状況にまで陥った。(策士策に溺れるというか、ミイラ取りがミイラというか…)

 そういう風潮のなか、オカルトをベースとして、かつてないほど高揚した、国家意識の高まりを軍部は利用し、その装置として靖国神社を活用していったのである。

 現在の靖国神社は、その本義である怨霊を鎮めるという機能から外れ、国家主義の聖地としての役割しか与えられていない。これは戦前のオカルト思想の名残であり、本来の姿ではない。

 そろそろ、靖国国家神道という呪縛から解放し、本来の神社としての機能を回復、全国の護国社と名実ともに連携し、日本の犠牲となった方々の魂を鎮め、怨霊から国を守る本義の神社として再生すべき時ではないだろうか。