大阪市家庭教育支援条例前文にツッコミ入れてみた

> かつて子育ての文化は、自然に受け継がれ、父母のみならず、祖父母、兄弟、地域社会などの温かく、時には厳しい眼差しによって支えられてきた。 

 「三丁目の夕日」の見過ぎ。見捨てられた子供は多かったし、貧しさのなかで、教育を受けられなかった子供も多かった。過去の負の側面にも眼を向けるべき。 

> しかし、戦後の高度成長に伴う核家族化の進展や地域社会の弱体化などによって、子育ての環境は大きく変化し、これまで保持してきた子育ての知恵や知識が伝承されず、親になる心の準備のないまま、いざ子供に接して途方に暮れる父母が増えている。 

 「途方にくれる父母が増えてる」ってホントか?伝統的な知識を伝承しても、変化した環境では役に立たないのではないか?新たな知識、サポートは今のほうが充実してないか? 

> 近年急増している児童虐待の背景にはさまざまな要因があるが、テレビや携帯電話を見ながら授乳している「ながら授乳」が8割を占めるなど、親心の喪失と親の保護能力の衰退という根本的問題があると思われる。 

 「ながら授乳」と児童虐待になんら因果関係は無いと思う。昔だってお喋りしながら授乳なんて普通にあった。会話が問題なくてTVや携帯だと問題だってのは偏見ではないのか?むしろ児童虐待は、親の家庭環境の問題が大きく、虐待は連鎖するといわれている。新たな知識・サポートのほうが安心できるだろ。 

> さらに、近年、軽度発達障害と似た症状の「気になる子」が増加し、「新型学級崩壊」が全国に広がっている。ひきこもりは70万人、その予備軍は155万人に及び、いきこもりや不登校、虐待、非行等と発達障害との関係も指摘されている。 

 「気になる子」っていうカテゴリーは初めて聞いたけど、実に都合よすぎるネーミングだ。何でもこれにはめ込められるよな。引きこもりや不登校は、いじめの問題や、画一的な教育環境に馴染めない子がいるということであって、学校側の問題です。 


> このような中で、平成18年に教育基本法が改正され、家庭教育の独立規定(第10条)が盛り込まれ、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」と親の自覚を促すとともに、「国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない」と明記した。 

 この改正教育基本法の内容は、国や自治体の責任を放棄して、親に全ての責任を押し付けてるように見える。実に右翼らしい考え方。 

> これまでの保護者支援策は、ともすれば親の利便性に偏るきらいがあったが、子供の「育ち」が著しく損なわれている今日、子供の健全な成長と発達を保障するという観点に立脚した、親の学び・親育ちを支援する施策が必要とされている。 

 経済と教育の両方の責任を負う親をサポートするのが「利便性に偏る」と言うこと自体が偏ってる。親への利便性の供与が子供の教育環境の充実に繋がる部分があるのは間違いない。「親の学び・親育ち」というが、昔の親がそれほど立派だったわけでもないことは、大阪市長の例を見れば判る。 

>それは、経済の物差しから幸福の物差しへの転換でもある。 

 …ブータンにでも行けば?あんな不自由な国は真っ平です。もしかして幸福の科学に嵌ってますか? 

> このような時代背景にあって、本県の未来を託す子供たちの健やかな成長のために、私たち親自身の成長を期して、本条例を定めるものである。 

 …ツィッターで指摘されてたけど、「本県」て(笑)どっからコピペしてきたの? 
 あと「私たち親自身の成長を期して」という表現が実にキモチワルイ。 

 こうした右翼的教育観の根本的な間違いは、「人間は多様な存在だ」という基本認識が無いことにある。人は工業製品ではないので、同じ型枠にはめ込めることはできない。 

 大阪の親御さんには他府県への移住をお勧めします。