硬直的で不透明な非合理性


 東日本大震災から1年が経過した。あの震災と福島原発事故は、日本のあり方を根底から揺さぶる大きな事件であったにも係わらず、この1年間で日本はさほど大きく変わってはいない。むしろ、ある部分では震災などなかったかのように振舞っている。

 今、総合エネルギー調査会でエネルギー基本計画の見直しが進められている。この中では従来のエネルギー構造を根本から見直そうという人々と、震災前の姿を維持しつつ、小規模の変更にとどめようという人々が議論を交わしているが、震災前を維持しようという人々の考え方を聞いていると、まるで震災と原発事故が無かったかのような印象を受けてしまう。

 震災前の規制、震災前の安全性、震災前の構造を大前提にしているのだ。しかし、そういう考え方が福島原発事故を引き起したのではないか。

 米国原子力学会は、日本の原子力発電規制当局に対して「想定外の自然災害に対処するためには、発生の確率と、起きた場合の被害の重大さのバランスを考えながら、総合的に規制を進める手法を導入する必要がある」と指摘した。要するに、日本の原発規制には「リスク評価」の考え方・手法がない、それが福島原発における津波リスクの見逃しにつながったと、しているのだ。

 日本の原発規制が「なあなあ」で行われてきたことに対して、欧米からは厳しい声が出ている。福島事故の調査を行った、IAEAの調査員の一人は「日本の事故処理の手法はありえない」と呟いた、という。何もかもが不透明で、非合理的だ、と指摘した、という。
 IEAの再生可能エネルギー部門のトップは 日本での再生可能エネルギーの導入に関して、「日本では導入拡大は難しいだろう。なぜならば、ネットワークが分断されているからだ。日本には再生可能エネルギーの導入を阻害する構造的要因がある」と指摘。「もっと柔軟なシステムの構築が必要だ」とした。

 電力の自由化とネットワークの強化がなければ、より効率的な電力供給構造を作っていくことはできない。その、実にシンプルな考え方がまるでできない硬直性が日本には存在する。その硬直した体制を維持するために、不透明な運営を行っている。そこに合理性は存在し得ない。

 規制へのリスク評価手法の導入、透明性の確保、柔軟なシステムの構築、そのいずれも出来ていないどころか、それを阻害しようとする動きもある。これが、今の電力を巡る現状なのだ。そういう体制のなかで原子力をマトモに扱っていけるのか。不安が大きい。

 彼らは「原子力や電力の専門家」と自負しているかもしれない。原子力のエンジニアはプラントの全てを自分達が知ってる、と思っている。しかし高速増殖炉もんじゅにしても、六ヶ所村の再処理工場にしても、ネックとなったのは、いずれも、一般のプラントの知見が活用されていれば、大きな問題の起るはずのない部分のミスだ。原子力の外の知見を生かすことすらできない、三流のエンジニアの集団に、これ以上、原子力を任せていくことは、日本にとって、余計なリスクを抱える事でしかない。