新たな電力インフラの議論が必要だ

供給責任をどう捉えるか
 福島原子力発電の事故は、既にチュルノブイリの状況に極めて近づいてきている。原子炉および格納容器の爆発を防ぐためには、とにかく水による冷却を続けていかなければならない。だが、冷却も今後どれだけの時間が必要か、今のところ見通しは立たない。数ヶ月か、あるいは数年間かかる可能性もある。この間、リスクは減少するものの、再臨界、および格納容器の爆発というリスクに国民はさらされ続けることになる。最終的にはチュルノブイリと同様。コンクリートで封じ込めるしかない。
 今回の事故には、原子力発電のシビアアクシデントが、どれほどの大きな影響を社会に与えるか、を目の当たりにした。今後原子力のリスク評価はどう変えるべきだろうか?例えば津波を前提としたリスク評価を考える際、どの程度の津波を想定し設備に反映すべきか?
 
 しかしこの議論が殆ど意味を持たない。原子炉全体を包み込むような津波だって記録されているのだから、原子力のリスク評価は不可能ということになり、ある一定以上の重大事故に対しては、金額で補償する方法しかなくなる。そうすと一度のシビアアクシデントで、国家が傾くことにもつながりかねない。基本的にリスク評価指標の変更は現状の維持と同等の意味しか持たない。

 今後原子力をどう扱うかという問題は、電力会社の供給責任をどう考えるか、という問題にリンクする、と思う。電力会社は極めて稼働率の低い設備産業であり、しかも電力を安定的に供給する責務を負っている。そのため、総括原価方式という絶対に赤字の出ない経営方法と、他社との競合のない、市場独占が認められている。
 
 だが、それも発電能力を独占しているという前提があってのこと。実際には現在でも、戸建住宅の屋根に太陽光発電設備が乗り、給湯とともに電力を発生する燃料電池も設置されている。ガスコージェネレーションの発電能力は家庭用も含めて、既に全国で累計約450万kWにも達している。さらにゴミ焼却炉は発電が義務づけられており、新エネルギーも全量買い取り制度の成立で、普及拡大が見込まれる。
 
 電力会社以外の発電能力は拡大する一方だ。
 そのため、これまでの電力会社にのみ供給責任を担わせるだけでなく、その一部を需要側が担うことも可能となってきている。むしろ今回のような計画停電による経済活動の低下を招くよりは、自ら発電能力を持ち、複数の離れた土地からの電力供給契約によるバックアップを持っているという形の方がより合理的ですらある。
 
電力需要とは何か
 「需要に対して供給しなければならない」という時の需要とは、需要全体を指す。少なくともこれまでは、総和としての需要量のみを対象として電力インフラが語られてきた。一般家庭、中圧、高圧といった部門別に総和としての時系列変化は捉えることはできたものの、実際にメーターが今計っている電力が、どこでどれだけ使われているのか、は不明だった。メーターにそこまでの能力がないためだ。
 
 しかし、近年はスマートメーターが登場した。これは電力メーターがエアコンや照明,温度計,セキュリティー機器といった家庭や事業所内の設備系機器などの各機器の稼動状況などをネットワーク経由で管理できるというもの。これにより、漠然とした需要しかわからなかったものが、数値で明確に理解できるようになる。従って、よりきめ細かい電力の管理が可能となり、従来よりも効果的に省エネが可能となる。
 そればかりでなく、地域の小規模分散型発電設備との連係により、地域全体でエネルギーの最適化を図ることのできるスマートコミュニティ化が可能となり、大規模電源への依存度を劇的に減らすことにつながる。ここに至っては大規模集中型電源の代表格である原子力発電の重要性は、低下することになる。
 
 そして最も重要なのが、大規模集中電源から小規模分散型電源へとシフトしていくことで、大規模電源が本質的に持つ大規模災害リスクを小さく分散化することができる。一部の地域で電源がダウンしたとしても、それが周辺地域へ影響を及ぼす可能性は小さい。今回の震災のような大規模災害では、やはり今回同様、大規模な電源喪失が発生するが、少なくとも核物質との戦いは回避されることになる。
 
 少なくとも、今後の電力事業を考えるには、現状のインフラの枠内で議論することに、私は意義を感じない。今、最も求められのは、新たな電力インフラの概念形成からの議論だと思う。そのためにはもちろん、電力会社が今の姿のまま維持されるという前提はあり得ない。電力会社の解体、電気事業の完全自由化も視野に入れて検討すべきだ。