「技術」「品質」だけでは日本が失速する

 日経平均株価が1万円台に回復し、米国の住宅着工件数も11月は大幅増加。ドバイショックにゆれる中近東には多少の不安感は残るものの、中南米、中国、アフリカ、欧州の各地域は米国の景気回復が本格化するまえに、設備投資への意欲は高まりつつある。
 要するに世界経済はいままでの米国依存型から脱却しつつあり、米国経済と関係なく、自地域の需要拡大で自立的回復を見せつつあるように見える。
 数ヶ月前から、2010年の年明けからは景気回復へ向けて日本の経済も潮目が変わってくるんじゃないか?と思っていたが、どうやら現実化しそうな感じがより強まってきた。
 その一方で、そこはかとない不安感が高まっているのも感じている。
 「日本の存在感は、世界のなかで失われつつあるんじゃないか?」ということだ。今までは中国や韓国がいくらがんばっても、ボリュームはともかく、品質や技術などでは、なかなか日本には追いつけないだろう、という余裕が経済界にはあった。
 だけど最近、その余裕がなくなっている。今までは技術でも品質でも、明確に日本の中国・韓国との違いを説明できていたが、最近では、だんだんそれが明確ではなくなってきた。韓国や中国の企業は確実に強くなっている。しかも、もともと交渉力があるので、技術や品質で追いつかれると、日本は相手にされなくなる。この危機感はまだ、日本には浸透していないようだ。まだ技術がある、品質で負けない、という自負に浸っていたい人たちが多い。そういう自負に浸っている間に、日本が排除されるようなマーケットもじわり、とではあるが、出てきている。
 モノの品質の説明は簡単だが、サービスの品質を説明するのは難しい。これは日本人が世界で一番、下手糞である。いまや世界は日本という国をよく知っている。「お箸の国」というだけで、信仰に近い「品質への信頼」を買ってもらえるような状況ではない。(かつては本当にそういうことがあった)。
 サービスの品質を説明するということは、相手に対してどういう「価値(バリュー)」を提供できるか、ということを示すことだ。
 このためには成果重視、結果重視のやり方では、通用しない。プロセスはどうあっても「結果」が良ければ、高く評価してもらえる、という時代は終わった。プロセスこそが重要なのであり、プロセスでの品質を証明できなければ結果の品質を裏付けることもできない。
 もう日本企業は仕事のやり方をどんどん変えていかなくてはならない。
 「技術」や「品質」に胡坐をかいていては、確実に競争力は失われるだろう。