「温暖化ガス25%削減」が国益となる

 2020年までに1990年比25%の温暖化ガスの削減という、民主党政権の「約束」に対する風当たりは強い。

 実際、誰もが本心では「そんなことはできない」「国民の多大な負担が生じる」と考えている。しかも、25%の中身はまだ何も決まっていない。新たに計算をしなおすというが、経済モデル、技術導入シナリオそのものは現実的に変えることは難しい。そのため、出てくる結果としては、これまでと大差ないものが出てくるはずである。従って、現実的には経済を犠牲にしなければ、この目標を達成することは不可能である、と考えているだろう。

 だがこうした批判は、結局のところ従来型の思考形態から脱却できていないのかも知れない。
 そもそも、世界の最先端の科学者が集まり、政治の影響を受けずに出した結論が「先進国は25~40%の温暖化ガス削減が必要」というものなのだ。
 これが科学から政治に対して投げかけられた要求なのである。この科学からの要求を無視すれば、結局は経済そのものが破綻する可能性が高いということを、もっと真剣に考慮する必要があると思う。
 経済発展を犠牲にして、地球環境というなんだかあやふやなものに対して取り組む、という消極的な考えではなく、将来にわたる経済活動の維持継続のためには「科学からの要求」にこたえていかなければならない、という、よりアクティブに視点を変えていかなければならないはずだ。

 そして民主党政権は世界に先駆けて、「科学からの要求」に応えよう、と最初の一歩を踏み出したのだ。だからこそ、全世界から拍手喝采を浴び、そうした哲学を選択した日本への尊敬を集めつつある。
 しかもこの行動は単に賞賛された、ということでは終わらない。もっと日本の国益にとって大きな意味がある。

 鳩山演説によって、日本が初めて世界をリードして、世界的な枠組みを作ろうということの意味は大きい。世界にその機運は高まってきている。日本の一歩は世界の一歩となりうる。

 そして次の枠組みが作られた後、世界をリードする日本は、そのルール作りにも大きな影響力を発揮することになる。日本としても勿論、温暖化対策への責任を果たしつつ、日本だけが不公平とならないルール作りを先導できることになるのだ。

 今、25%の中身がないことを批判するのは容易いが、国際的なルール作りを控えている、今の段階で削減方法の中身を明確にするのはむしろ交渉を不利にすると見るのが正しいと考えるべきだ。