偏見の排除と批判的思考力が日本を強くする

 「我々は自分で思っているほど、インターナショナルでもなければ、グローバルでもなかった」

 これは某企業の人事部長の言葉である。この企業はプロジェクト産業であり、受注の半分以上が海外向けの受注だ。当然、海外にも複数の拠点を持ち、それらが本社と連携し、または独立して事業を行っている。顧客も欧米の大企業、中東やアジア、ロシア、中南米の民間、および国営企業であり、技術面でも世界的に信頼を受けている。
 それほどまでにグローバルに展開している企業は日本でもあまりない。そういう会社の人材育成面で、最も重要なのが「グローバル化への対応」だというのだから、さすがに驚いた。

 どういうことかというと、海外の仕事が大規模化、複雑化していくことで、これまで国内で仕事をしていればよかった技術者も、海外に出て行かざるを得なくなってきているのだ。
 営業や直接の担当以外は海外に行かず、日本人同士で「あーでもない、こーでもない」と言ってるだけでも、これまでは仕事になっていた。しかし、海外拠点に行って現地技術者をコントロールしながら、あるいは顧客である欧米人と一緒に仕事をしなければならなくなっている。

 そうした現場で、顧客の欧米人からは「日本人はダメだ。中国人の方がまだきちんと話が通じる」と散々な評価をされているのが実情だ。
 断っておくが、これは技術の問題ではない。日本人のコミュニケーション能力の低さの問題なのだ。
 人事部長は続けて「外国人と仕事をしなければならない状況になって、壁になるのは偏見だ。『○○人はこうだ』という偏見がコミュニケーションの妨げになっている」という。

 文化の異なる人と協働する場合に、偏見があっては信頼の醸成は不可能であり、仕事の効率も品質も落ちていく。文化が異なることを楽しみながら、オープンな意識で仕事を進めていくことで、異なる視点からの指摘が生まれ、それがシナジー(相乗効果)を生み出していくのだ。異なるものを排除することでは、物事は進化・発展しない。当たり前のことだが、これが案外理解されていないのが日本の弱点だ。

 もうひとつの問題は「クリティカルシンキング(批判的思考力」であるという。ロジカルシンキング(論理的思考力)は通常でも言われるが「クリティカルシンキング」はあまり日本では浸透していない。しかし、海外の現場ではこれが重要な力となる。

 今まで、日本ではロジカルシンキングというのは個人が生まれつき持つ資質だと思われてきたフシがある。重要ではあると思いながら、所詮「できる人」だからできる、と思われてきた。
 しかし、これは訓練で獲得できる資質なのだ。そのためのカリキュラムも作られている。ただ、活用していないだけだ。関心が向いていないだけだ。それでも昨今、企業の最前線では、クリティカルシンキングを養うためのセミナーに注目が集まっている。

 訓練して獲得できるであれば、それは企業に入ってから行うというのは実に非効率的である。少なくとも高等学校までに、個々人がその基本を身に付けていれば、企業の教育のための負担は軽くなる。より専門性のある、あるいはより高度な教育にリソースを傾けていくことができる。
 学校でやらない手はないのだ。それが日本の国力を強化することに、直接つながっていくのだ。
 日の丸掲揚、君が代起立斉唱ぐらいのことに血道をあげている文部科学省教育委員会には、全く危機感がない。亡国の怠慢だ。

 改めて言おう。

 日本人はグローバルでもなければインターナショナルでもない。外国人差別を放置しておいては国力を失うし、批判的思考力を養わなければ、欧米との仕事でも相手にされなくなる。中国には今年にもGDPは抜かれていくが、日本が何もしなければ、いずれ人材面でも抜かれていくだろう。相対的に日本の存在感は低下していくことになる。

 外国人に対する偏見の削除と、論理的思考能力の強化を、学校教育に取り入れていく必要がある。これは日の丸や君が代よりも、よっぽどプライオリティの高い教育政策だ。