競争より協調が大事

「競争原理」ってやっぱあやしい。

 ここ数年間日本を支配していた新自由主義は失敗に終わっている。「小さな政府」と言いながら結局は郵政を切り離しただけであり、それすらも公社化以上の効果は得られていない。PFIやPPPなど掛声は高かったが、結局政府も行政も小さくはなっていない。一方で市場原理を福祉にまで持ち込んだことで、セーフティネットワークは崩壊しつつある。個人の負担は増えていくが、それに見合う福祉は得られない。競争原理を突き詰めていくなかで、所得格差は拡大し、そして不況の波にさらされ、個人消費は縮小していく。この結果、抜け道のない不況の世界に突入しようとしている、ように見える。

 しかし、である。よくよく考えると、どうも「競争原理」とやらは怪しいのではないだろうか?
 かつて、日本企業は過当なる価格競争により、収益性はあまり高くなかった。メーカーというのは、横並びで製品を生み出しやすい。そこで価格競争をするということは、収益を低く抑えなければならない。
 しかし最近の経済では「ナンバー1よりオンリー1」が合言葉になっている。SMAPの歌の歌詞をマネた訳ではない。むしろその歌が経済界の合言葉を取り入れたに過ぎない。

 さて、これはどういうことかというと、結局ナンバー1になったところで、収益性が低ければ意味がないということ。オンリー1を持っていると、価格競争という次元から抜け出すことになる。これにより収益性は格段に上がっていくのだ。

 考えてみれば、価格競争は比較的付加価値の低いモノでは有効だが、より複雑で高度なモノでは意味がない。

 ニーズを的確に捕らえ、あるいはニーズを掘り起こし、他がマネできないモノやサービスを生み出している会社は強い。財務上でもそういう会社は安定する。

 要するに、「競争、競争」と言っている間は、付加価値の低い仕事でしかしていないということだ。より付加価値を高めるには競争という低い次元から抜け出し、より高い次元へと進んでいかなければならない。
 そのためには何が必要か。「協調」である。

 実際、大きな仕事をしている人間は「協調力」を持っている。リーダーシップとは、組織を協調的に運営して、全体として最適化を図り、より良い仕事をするということだ。「競争、競争」ということしか言わない人間は、概して小さい仕事しか出来ない。

 もっと言えば「協調」ができなければ、「競争」に参加することすら出来ない。

 どこぞの知事は競争原理を教育にまで持ち込んで、成績アップを図ろうと躍起になっているが、おそらく成果は出ないだろう。教育現場との協調が無ければ、教育は生きてこない。トップダウン型の教育改革は失敗する。