光市事件のこと

光市事件に関する話題をmixiの日記で書いたので転載します


○弁護士のプリンシパル

東京弁護士会が光市事件の弁護人に対する懲罰請求事件について、懲罰しない方針を決めた。

http://www.toben.or.jp/whatsnew/webapp/whatsnew/detail/?id_whats_new=968

読んでみればわかるが、よく理解できる内容だ。
懲罰があり得ないのは最初から分かってはいたが、
東京弁護士会のこの姿勢は実に立派なものだ。
特に「4.綱紀委員会の議決の理由の要旨」は何度でも読み返したくなる。
弁護人としての責務とそれを貫くことの誇りが良く理解できる、名文といえる。

最近、プリンシパルということを良く考えるが、久しぶりにそれを見た気がする。



○光市事件、結審

光市事件の裁判が結審した。

弁護側の最終弁論は、差し戻し審での主張を曲げることなく、言い切ったようだ。

今回はテレビもあまり騒がなかった。
というか無視していたのだろうか。
検察の側の主張は細かく伝えるのに、弁護側の主張はきちんと検証もせず、流すだけか。

このような偏向した報道で正しい世論が形成されるわけもない。

1審、2審の弁護士はいわゆる「土下座弁護」を展開。
しかしこの事件では警察・検察、裁判所、そしてマスコミが一体となって死刑に向かって進み、土下座弁護では死刑は免れなくなった。

今回、警察とマスコミのタッグによって、死刑への世論形成が大成功した。
被害者遺族もこの流れに乗り、世論を動かす原動力となった。

しかし、冷静に見れば当初から死刑は不当であったのは明らか。
1審、2審の弁護士は状況を読み間違えたようだ。それもしかたなかろう。
これほど特殊な事件となるとは予想だにしなかったに違いない。

差し戻し審の弁護団手弁当で集まった、いわばボランティアである。
彼らは被告の声に耳を傾け、事実とそうでないものを丁寧により分け、必要な主張を展開した。

この極めてまともな弁護士としての仕事を、世論は何の検証もせずに批判した。世論というものは、こういう手法で簡単にミスリードされてしまうものなのである。

判決は来年4月だそうだ。裁判所が警察と一体化しているこの裁判では、被告は死刑となってしまうかもしれない。

だが、私は彼に生きていて欲しい。彼はすでに反省の人となりつつある。
人は変われるのだということを示して欲しい。

世論のミスリードは今後も続くだろう。
この事件の裁判を通じて、死刑はあってはならないことを痛感した。
人は変われるのだから。

またこの状況で裁判員制度の導入はありえないことを理解した。
世論は正しい判断ができないのだから。