もうね奇跡かと思った

 昨夜は月食だった。秋葉原あたりを歩きながら、皆既月食みることが出来た。赤い月は不思議な魅力、というか殆ど魔力のようなものを持って、見る人に迫ってくる感じだ。もっとも、都心ではビルの隙間から月を見る形となる。だからビルの陰に、月食を見る人々が溜まるようになる。普段、ただ行き交うだけのビル陰に、人が溜まり、カメラやケータイを上に向け、ビルの隙間から赤い月を見上げる。何と言うか稲垣足穂一千一秒物語の世界のようだった。
 だけど、僕にとっての奇跡は、実はその前日だった。
 前日なのでやはり満月。そこに少々、雲が被ってて、朧月となっていた。またその雲がうろこ雲で、月へのかかり具合が良くて、まるで月が波で煌めいているような、それは綺麗な月だった。
 その綺麗な月をバックに、突然、鳥の一団が横切った。
 鳥たちはカギと円弧の二つのラインを組んで、月を横切っていく。暗い空に、街の光を受けて銀色に光る鳥たちの優雅な飛行は、本当に奇跡のようだったよ。

日本は本当にトルコSinop原発を受注できるのか?

 安倍総理大臣とトルコのエルドリアン首相との会談で、トルコのSinop原子力発電プロジェクトで日本が優先交渉権を獲得した。中には受注確定とまで書いた新聞もある。これに対して「福島原発事故があったのに無責任だ」という声もあるが、その前にこれは本当なのか?トルコの原発計画を横目で見てきた自分としては、そう簡単に信じることができないのだ。

 今回の安倍首相訪問時に、エルドアン首相が日本への発注を確約したように書かれているが、具体的に進んだのは日本とトルコ間で原子力平和利用協定が締結されたことだけ。これは日本からの原子力機器・技術や核物質の輸出を可能とするものであり、受注を確約するものではない。トルコではこれまで、カナダ、アルゼンチン、ドイツ、フランス、韓国、米国、ロシア、中国と原子力平和利用協定を締結しており、今回日本が協定を結んだことで、日仏連合でトルコ市場への原発輸出が可能となったということだ。むしろ日本は協定締結では出遅れている。

 これを受けて日仏連合は、三菱重工伊藤忠商事、仏GDFスエズ、トルコ発電会社(EUAS)等で構成されるコンソーシアムが、トルコでの交渉を開始するかと思いきや「まずは事業化調査(FS)をJVで進めます」とのこと。おまけに「当社は優先交渉権を獲得した、とは言ってません」とわざわざ付け加えていただいた。つまり、交渉が即座に開始されるどころではなく、プロジェクトはまだ初期段階にあるに過ぎないのだ。

 ちなみに同グループの計画としては、出力110万kWのATMEA1を黒海沿岸Sinopに4基建設、総出力440万kWの原子力発電所とする。第1号機の運転開始は2023年、トルコ共和国発足100周年の年を予定している。現状で決まっているのはそれだけだ。

 Sinop原発計画はアックユと同様、紆余曲折を経ている。1980年代には米GEが140万kWのBWR原子炉2基を建設することで仮契約した(アックユでもカナダ、ドイツと仮契約)が、トルコ側が資金調達を100%、受注側が行う方式としたため、計画がとん挫。その後トルコ北西部大地震の発生で原子力計画は一時凍結。2007年にはアックユ原子力計画が再開され、2010年にはSinop計画で韓国との共同調査を実施することで議定書に調印。韓国がSinop原発受注に向けて活動していたが、2010年11月に韓国がプロジェクトから撤退した。その理由は不明だが、巨額の資金調達が条件となっていたためと見られている。その後日本政府と東芝が優先交渉権を得て、東京電力の協力のもと受注に向けて動いていたが、東日本大震災の発生で東京電力が撤退することを表明した。

 これを受けてトルコ政府は韓国に再参加を要請。昨年2月には韓国との交渉再開で両国トップが合意したが、さらに中国も交渉に参加。さらにカナダも同プロジェクトのFSに関してトルコ発電公社(EUAS)と合意、しかもこの時点でトルコ・エネルギー天然資源相は日本との交渉も継続するなど、Sinop原発を巡る状況は、この1年間で非常に複雑化しており。今年1月には中国の受注がほぼ確定しているかのような報道も流れていた。こういう国でいきなり優先交渉権とか言われても、なかなか字面通り受け取る訳にはいかないのだ。

 ところで、採用が予定されるATMEA1は、三菱重工とArevaの技術を集大成した、安全性の高い第3世代プラス(G3+)の原子炉で、フランスの原子力安全規制庁から基準適合の評価を獲得。トルコの他、ヨルダンおよびブラジルなど十数カ国で商談が進められている。その信頼性の高さが今回の要因の一つとされている。だがその一方、価格競争力には不安が残る。特にSinopでは直前までの交渉相手が中国であるので、価格面での要求は厳しいものとなりそうだ。

 今回のプロジェクトは、先行するアックユ原子力計画と同様、BOO(建設・所有・運転)契約となる。この事業形態をベースに今後FSが進められ、事業性の見通しがつけば、契約交渉となっていく。その事業規模は、総額2兆円とも言われており、その資金調達および売電価格がポイントとなる。

 これまで中国はkWhあたり8~9セントと、トルコが通常の発電設備から買い取る買電価格とほぼ同水準を提示していたと言われる。これに対して日仏連合は同11セント前後。アックユの12.35セントに比べれば競争力のある価格だが、中国の価格に魅力を感じているトルコ側との価格交渉は厳しい状況となることが予想される。

 また、気になるのがBOO方式であるため、福島のようなシビアアクシデントが発生した場合、その処理費用、および賠償費用にかかる条項がどう設定されるか、だ。これまでの通常の原子力プラント輸出では、シビアアクシデントではメーカーの責任はあまり問われないことになっている。だが、事業を行うとなれば、相応の負担責任が発生する。それをトルコ政府と事業者側でどう分担するかだ。福島事故が起こってしまった今、シビアアクシデント後の費用負担責任については、特に事業性を大きく左右する条件になりかねない。場合によってはトルコでの原子炉事故費用(賠償含む)を日本の国庫から出す可能性もある。

 Sinop原発は本当に、事業として採算が取れる形で実現できるのだろうか?

脱原発パブコメしてみた

「エネルギーと環境に関する選択肢」に対してパブリックコメントした。

ここに比較的わかりやすく中味をまとめてある

そしてHPからのパブリックコメントはこちらから

現実的には原子力15%でも良いのだが、スマート化社会、再生可能エネルギー省エネルギーを最大限社会に活かしていくには、原子力ゼロ政策が最も望ましい。ということで、以下のようにまとめてた。皆さんも可能な限り、パブリックコメントをお願いします。なお25%シナリオは原発を現状維持するものなので、選択肢としては「脱原発依存」の体をなしていない。

【概要】(100字以内)
原発ゼロを選択し、再エネ・省エネに資金を回す。そうして構築した世界最先端のエネルギーシステムを、インフラ・システム輸出として世界展開すべき。

【意見および理由】(2400字以内)
 増加する電力需要への対応と地球温暖化対策の両面から、日本はこれまで、電源構成で原子力に多くを依存してきました。確かに発電時にCO2を排出しない電源であり、巨大な電力を生み出すことのできる原子力はこれまで、使える電源でした。私も原子力は当面、重要な地位を占める、と考えていました。3.11東日本大震災までは。
 この1年間で露呈した原子力のリスクは、私の想像を超えていました。これほどまでに大規模な範囲で国民生活を破壊してしまう以上、原子力のリスクは現実的には無限大に近いものであり、そうである以上、原子力のリスク・ベネフィットは計算できなくなります。つまり経済性のない電源であることがはっきりしました。しかも原子力ムラには原子力発電所をマネジメントする能力がありません。
 これ以上、この巨大な外部不経済を税金で賄わなければならない原子力を続ける事に、国としての整合性はありません。もう一度、あのような事故が起ってからでは遅いのです。しかも原発ユーザーはあの事故の後でもマトモな対応はしていません。非合理的な理屈の上で、何とか倒産しないようにしているだけのことに、何故国民が付きあわされなければならないのか?
 原発はゼロを目指すべきです。
 再生可能エネルギーやスマートコミュニティ、省エネは現在、原発ゼロ政策の中でこそ、その進歩が加速化されます。現実に、シャープは変換効率40%の太陽電池の商用化を目指してます。次世代パワー半導体の実用化が始まり、機器の省エネ化もさらに一段、飛躍することでしょう。再生可能エネルギーを最大化するには、現在国から原子力に投入されている資金を止め、再生可能エネルギーへと流れを変える必要があります。
 さらに、こうして構築した世界最先端の再生可能エネルギーを最大限活用し、スマートでCO2排出量が少ないエネルギーシステムは、資源成約の中での燃料コストの面からも途上国や新興国からも、注目されることとなります。つまり、原発ゼロを目指すことで、世界最先端の電力インフラ・システム輸出も可能となるでしょう。原子力ではリードタイムが長すぎて、新興国での急速な需要増加には間に合わない可能性もあるうえ、再生可能エネルギーは純粋なローカルエネルギーなので、各国にとってエネルギーセキュリティの向上が望めることとなります。
 これらの「原発ゼロ化」メリットを、これまでの原子力中心のエネルギー政策は阻害してきました。技術進展が目覚しい今でこそ、新技術開発の阻害要因となっている原子力への無駄な資金の流出を止め、より建設的なエネルギー構造への転換を促すため、原発ゼロ政策こそが現実的な選択であると考えます。

以上


大阪市家庭教育支援条例前文にツッコミ入れてみた

> かつて子育ての文化は、自然に受け継がれ、父母のみならず、祖父母、兄弟、地域社会などの温かく、時には厳しい眼差しによって支えられてきた。 

 「三丁目の夕日」の見過ぎ。見捨てられた子供は多かったし、貧しさのなかで、教育を受けられなかった子供も多かった。過去の負の側面にも眼を向けるべき。 

> しかし、戦後の高度成長に伴う核家族化の進展や地域社会の弱体化などによって、子育ての環境は大きく変化し、これまで保持してきた子育ての知恵や知識が伝承されず、親になる心の準備のないまま、いざ子供に接して途方に暮れる父母が増えている。 

 「途方にくれる父母が増えてる」ってホントか?伝統的な知識を伝承しても、変化した環境では役に立たないのではないか?新たな知識、サポートは今のほうが充実してないか? 

> 近年急増している児童虐待の背景にはさまざまな要因があるが、テレビや携帯電話を見ながら授乳している「ながら授乳」が8割を占めるなど、親心の喪失と親の保護能力の衰退という根本的問題があると思われる。 

 「ながら授乳」と児童虐待になんら因果関係は無いと思う。昔だってお喋りしながら授乳なんて普通にあった。会話が問題なくてTVや携帯だと問題だってのは偏見ではないのか?むしろ児童虐待は、親の家庭環境の問題が大きく、虐待は連鎖するといわれている。新たな知識・サポートのほうが安心できるだろ。 

> さらに、近年、軽度発達障害と似た症状の「気になる子」が増加し、「新型学級崩壊」が全国に広がっている。ひきこもりは70万人、その予備軍は155万人に及び、いきこもりや不登校、虐待、非行等と発達障害との関係も指摘されている。 

 「気になる子」っていうカテゴリーは初めて聞いたけど、実に都合よすぎるネーミングだ。何でもこれにはめ込められるよな。引きこもりや不登校は、いじめの問題や、画一的な教育環境に馴染めない子がいるということであって、学校側の問題です。 


> このような中で、平成18年に教育基本法が改正され、家庭教育の独立規定(第10条)が盛り込まれ、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」と親の自覚を促すとともに、「国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない」と明記した。 

 この改正教育基本法の内容は、国や自治体の責任を放棄して、親に全ての責任を押し付けてるように見える。実に右翼らしい考え方。 

> これまでの保護者支援策は、ともすれば親の利便性に偏るきらいがあったが、子供の「育ち」が著しく損なわれている今日、子供の健全な成長と発達を保障するという観点に立脚した、親の学び・親育ちを支援する施策が必要とされている。 

 経済と教育の両方の責任を負う親をサポートするのが「利便性に偏る」と言うこと自体が偏ってる。親への利便性の供与が子供の教育環境の充実に繋がる部分があるのは間違いない。「親の学び・親育ち」というが、昔の親がそれほど立派だったわけでもないことは、大阪市長の例を見れば判る。 

>それは、経済の物差しから幸福の物差しへの転換でもある。 

 …ブータンにでも行けば?あんな不自由な国は真っ平です。もしかして幸福の科学に嵌ってますか? 

> このような時代背景にあって、本県の未来を託す子供たちの健やかな成長のために、私たち親自身の成長を期して、本条例を定めるものである。 

 …ツィッターで指摘されてたけど、「本県」て(笑)どっからコピペしてきたの? 
 あと「私たち親自身の成長を期して」という表現が実にキモチワルイ。 

 こうした右翼的教育観の根本的な間違いは、「人間は多様な存在だ」という基本認識が無いことにある。人は工業製品ではないので、同じ型枠にはめ込めることはできない。 

 大阪の親御さんには他府県への移住をお勧めします。

硬直的で不透明な非合理性


 東日本大震災から1年が経過した。あの震災と福島原発事故は、日本のあり方を根底から揺さぶる大きな事件であったにも係わらず、この1年間で日本はさほど大きく変わってはいない。むしろ、ある部分では震災などなかったかのように振舞っている。

 今、総合エネルギー調査会でエネルギー基本計画の見直しが進められている。この中では従来のエネルギー構造を根本から見直そうという人々と、震災前の姿を維持しつつ、小規模の変更にとどめようという人々が議論を交わしているが、震災前を維持しようという人々の考え方を聞いていると、まるで震災と原発事故が無かったかのような印象を受けてしまう。

 震災前の規制、震災前の安全性、震災前の構造を大前提にしているのだ。しかし、そういう考え方が福島原発事故を引き起したのではないか。

 米国原子力学会は、日本の原子力発電規制当局に対して「想定外の自然災害に対処するためには、発生の確率と、起きた場合の被害の重大さのバランスを考えながら、総合的に規制を進める手法を導入する必要がある」と指摘した。要するに、日本の原発規制には「リスク評価」の考え方・手法がない、それが福島原発における津波リスクの見逃しにつながったと、しているのだ。

 日本の原発規制が「なあなあ」で行われてきたことに対して、欧米からは厳しい声が出ている。福島事故の調査を行った、IAEAの調査員の一人は「日本の事故処理の手法はありえない」と呟いた、という。何もかもが不透明で、非合理的だ、と指摘した、という。
 IEAの再生可能エネルギー部門のトップは 日本での再生可能エネルギーの導入に関して、「日本では導入拡大は難しいだろう。なぜならば、ネットワークが分断されているからだ。日本には再生可能エネルギーの導入を阻害する構造的要因がある」と指摘。「もっと柔軟なシステムの構築が必要だ」とした。

 電力の自由化とネットワークの強化がなければ、より効率的な電力供給構造を作っていくことはできない。その、実にシンプルな考え方がまるでできない硬直性が日本には存在する。その硬直した体制を維持するために、不透明な運営を行っている。そこに合理性は存在し得ない。

 規制へのリスク評価手法の導入、透明性の確保、柔軟なシステムの構築、そのいずれも出来ていないどころか、それを阻害しようとする動きもある。これが、今の電力を巡る現状なのだ。そういう体制のなかで原子力をマトモに扱っていけるのか。不安が大きい。

 彼らは「原子力や電力の専門家」と自負しているかもしれない。原子力のエンジニアはプラントの全てを自分達が知ってる、と思っている。しかし高速増殖炉もんじゅにしても、六ヶ所村の再処理工場にしても、ネックとなったのは、いずれも、一般のプラントの知見が活用されていれば、大きな問題の起るはずのない部分のミスだ。原子力の外の知見を生かすことすらできない、三流のエンジニアの集団に、これ以上、原子力を任せていくことは、日本にとって、余計なリスクを抱える事でしかない。


原子力見直し論議が熱い

 今、経済産業省で「総合資源エネルギー調査会基本問題委員会」という審議会が行われている。昨年10月に立ち上げられたこの審議会では、福島第一原発事故をうけて、原子力をどうするか、日本の電力事業をどうするか、そういう基本的なところから、現行のエネルギー基本計画をゼロベースで見直し、新たなエネルギーミックスとその実現のための方策を含む新しい計画についての議論を行っている


 新たなエネルギー基本計画を作るにあたって、その基本的方向性を①需要家の行動様式や社会インフラの変革を視野に、省エネ・節電対策を抜本的に強化、②再生可能エネルギーの開発・利用の最大限の加速化、③天然ガスシフトを始め、環境負荷に最大限配慮しながら化石燃料を有効活用する、④原子力発電への依存度をできる限り低減させるーとしている。政府の「脱原発依存」政策は、ここでは前提条件とされている(原発ゼロを意味するものではないが)。

 既にこれまで9回、開催されているが、1月24日に行われた会合では、原子力が中心テーマとなった。これはこれまで傍聴してきた委員会とはかなり異なる様相を呈していた。議論が極めて活発なのである。これまでの政府の審議会では、見られなかった、委員同士が直接、議論を交わすということも行われた。これは三村委員長が言うとおり「初めての試み」であったようだ。

 今現在、原子力について、政府の審議会で議論を自由に交わすことが本当にできるのか?と思いつつ、傍聴したが、意外にも原子力批判の声は大きかった。

 まず最初の批判は安全面について。低線量放射線を長期に浴び続ける事について、健康への影響は科学的には評価が出来ていない。そして廃棄物についても放射線が長期に亘ってもれない、ということは考えられないことが指摘された(伴委員)
 また安全に関して規制当局が当事者能力がなく、事業者に丸投げであったということ、電力需給はマネジメント可能だが、もう一度同じことが起ったら日本が終わってしまうのではないかという「リアリティ」を見つめることが必要だ(飯田委員)という問いかけもあった。
 
 コストの面では事業の費用はその社会的コストを含め、利益を得る事業者が追うことが原則であり、バックエンドや事故時の費用は過小評価されている。(要するに原子力事業者がコストを社会にツケ回して利益を受けている、という批判)(河野委員)
 事故補償、賠償しきれないのは、これまで事業者が負担してこなかったから。“共済”という形で事故が起らなければ拠出資金が一定程度戻ってくる形にすれば、資金は集まるはず。事故の頻度が低いなら事業者の負担にはならないはず。そういう手法を導入する気はないのか?(松村委員)

 といった批判が相次ぎ提出される。そして、この松村委員の疑問に対して、電力側代表のような形となっている豊田委員はこう返す。「原子力国益だというのだから、事故の責任を全て事業者に負わせるのは無理がある。米英仏中ロ韓、いずれも事業者の責任は有限だ」-要するに責任を全て事業者が負うという前提が気に入らないのである。

 これには「原子力はエネルギー安全保障の要」という意思も働いている。だからこそ、事業者だけではなく国との責任分担が必要、というわけだ。これに対して河野委員から「エネルギー安全保障は国防と同じと考えているのか?」と問いかけられ豊田委員が「その通り。WTOでも例外的分野として国防は市場メカニズムには任せられないとしている」と返す。
 さらにこれに対して河野委員は「そうであるならば、エネルギー安全保障の部分にどれだけ税金が投入されているかを明確化すべきだ」と再反論。大島委員も「同意。さらに研究開発、立地交付金などの税金投入についても理解されていない部分があるかもしれない。原発にはまだ見えないコスト大きい。コストが掛かりすぎであり、その分を再生可能エネルギーに投入したほうがいい」
 そして「エネルギー安全保障というが、(核燃サイクルが出来ていない現状で)原子力自給率に含める意味はない。むしろ再生可能エネルギーこそがエネルギー安全保障となる」(高橋委員)

 これら以外にも、国際戦略上の観点から、また安全性の問題お、フロントエンドでの被爆者問題など、多くの発言が行われた。中には「原発は国害」と言ってのけた委員も居る。この真剣な討議は、次回、2月1日に開催される。今度は「原発の安全性」がテーマとなる。

 ちなみに総合資源エネルギー調査会基本問題委員会はニコニコ動画でインターネット中継されるそうです。

電力会社の選択と集中

 東京電力が火力発電所を売却し、電源を外部から調達するという。

 これまで電源は殆どを自社保有とし、一部について外部から調達していたが、この自前主義を大きく方向転換することになる。この話自体は、東京電力の賠償事業のため、債務超過が懸念されているなかで、東京電力コーポレートファイナンスで新規の電源を構築することが難しくなることが予想されるための方針ではあるが、日本の電力事業そのものにも大きな影響が出てくるかもしれない。

 90年代に進められたIPP(独立電力事業)やPPS(特定規模電気事業)。 当時、国内の新規発電プロジェクトは大いに沸いた。発電所建設プロジェクトが増えた、というだけではない。これまで電力会社に制限されていた、電力事業が、一般企業も実施できるようになったのだ。電力事業は安定した事業であり、利益率は多少低くても、安定収入が期待できることから、バランスシートの健全化にはうってつけ、ということもあり、IPPやPPSに乗り出した企業が相次いだ。その後、IPP入札は終了し、PPSも既存電力会社の低価格攻勢によし市場は拡大せず、自由化市場は全体のわずか数%程度にとどまっていた。

 そいれが今回、東京電力が電源を外部から調達する、というのだから、電力事業への産業界の期待は再び高まることになりそうだ。

 東京電力の外部調達が大幅拡大するのであれば、産業界の発電設備を最大限、活用することができる。また、東京電力発電所は東電の供給指令にのみ対応する設備だが、外部化された発電所は自らがPPSとなっても良い。電力の構造が東電管内では大きく変わることになり、そこにチャンスを見出す企業も多いだろう。

 考えてみれば、日本の電力会社は送電会社で良いのではないか?発電事業は燃料を調達し電力に転換して売ればよいが、送電事業はそれほど単純なものではなく、需要変動と、供給電力のバランスを取って、ネットワークを安定化するという、より高度なノウハウが必要となる。

 電力会社のエキスパティーズ(企業のコアとなる技術・ノウハウ)は、まさにその送電事業の中にある、と言えるだろう。従って、「選択と集中」という観点から言えば、既存電力会社は送電に集中することで、より効率的でエクセレントな企業となっていくだろう。

 また公的資金注入による東京電力の国有化の話も出ている。これは「可能性」として出てきた話に過ぎないので、確定したものはないが、電力会社が送電事業へと集中するのであれば、インフラ事業者として、国営企業、あるいはPPP事業者として送電インフラを管理する、というのは筋が通る話だ。そうなれば全国規模の送電連携や、周波数統一もしやすくなる。

 東日本大震災で大きな問題となったのが送電網の連携がネックとなった電力融通力の脆弱性だ。これは既存電力会社が管内の送電線の整備のみを対象としてきたためだ。発電事業と一体となった経営体制であるため、設備投資に制約があったことも、その背景にある。何よりも、地域独占の内側だけしか見ない電力供給事業である。各電力会社間の連携線が強化される訳が無い。

 電力会社が送電事業に集中していけば、連携の拡大が重要なインフラ整備の現実的な課題として、かならず経営陣の目前に浮上してくるはずだ。そこで周波数問題が現実の壁として立ちはだかる。この壁を打ち壊さなければ、企業として将来展望が描けなくなる、となれば、具体的に周波数統合と連携線の拡大が動き出すことになる、と期待される。